イチローでも、俺スペックで生まれたらダメ人間

今回は、俺の好きなマリモンの旧ブログの記事を紹介する。

「もう一度人生をやりなおせるとしたら」

というタイトルの記事だ。

 

現行のマリモンブログのカテゴリーから、まだ読めるので是非読んで欲しい。

 

タイトルからネガティブ思考臭がプンプンするこの記事。

なかなかどうして、読んでみると深い内容の記事だ。

 

 

記事を要約すると、

「たとえ一流野球選手のイチローでも、俺のスペックで生まれたら、あそこまでの大記録は打ち立てられなかっただろう。

イチローでも、俺のスペックと環境で生まれていたら、クソみたいな人生を送っていただろう。」

 

遺伝子への恨み節で満ち満ちた、自虐的な内容の記事である。

 

そしてこう続く。

「40年生きてきた今までの俺の経験を引き継いで、もう一度人生を最初からやり直せるとしても、確実にクソみたいな人生を繰り返すだけだろう。」

とも綴っている。

 

 

そしてこう締めくくる。

「生まれ持った才能が5割、育った環境が3割、本人の努力が2割。」

で人生が決まるとマリモンは論じている。

 

 

 

 

以上がマリモンの旧ブログからの引用だ。

みなさん、どう感じただろうか?

全くの暴論とは思えないと思う。

 

 

でもね。

 

こんなネガティブな発言を繰り返していたマリモンでも、人気ユーチューバーを目指して、現在は日々頑張っている!

 

他人との比較ではなく、自分の能力のやれる範囲で頑張るのが大事なんだと、彼は気付いたのだと思う…。

 

 

 

 

よく言われる事だけど、現代社会の日本に生まれただけでも勝ち組という言葉があるよな。

これって本当だろうか?

誰にでも当てはまる言葉だろうか?

 

どういう意味かって言うとね。

つまり、マリモンみたいなスペックの人間だったら、

 

どこかの発展途上国に生まれて、単純作業労働をやって貧乏だけど適当に生活する。

幼なじみの女と間に、気付けば子供が出来ちゃって、その日暮らしして60歳ぐらいで感染症とかで死ぬ。

 

みたいな人生の方が幸せのような気がする。

 

 

どういう事かっていうと、

 

先進国で競争のストレスに振り回されて生活するよりも、

多少のスペックの違いがあっても、みんな同じような人生を歩まざるを得ない、発展途上国に生まれる人生の方がマリモンは幸せだったのでは?

 

という意味。

 

 

 

今日はここまで。

そんなとこ。オナ!

ピュッ!